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かわうそプロジェクト

本会のメンバーによる善福寺川研究、名付けて「かわうそプロジェクト」をご紹介します。

 

  1. 善福寺川の今・昔
  2. 雨をためる緑の力 〜 緑地による雨水の貯留・浸透 〜
  3. 屋敷林での浸透実験

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1. 善福寺川の今・昔

 

明治以降、近代化が進んだ日本の都市では、市街地が拡大する中で、コンクリートやアスファルトで覆われ、土や植物で覆われた自然的な土地利用は大幅に減少しました。善福寺川流域も同様で、元々は江戸時代から続く都市近郊農村が立地し、台地には農地や雑木林が、川沿いの低地には水田が広がっていました。善福寺川の水源は湧水で、谷戸頭や窪地から湧水が湧き出て、善福寺川は豊富な水量を保っていました。釣り好きの作家として知られる井伏鱒二の著書「荻窪風土記」の中では、昭和初期の善福寺川の様子が次のように描かれています。

 

「井荻村(杉並区清水)へ引越してきた当時、川南の善福寺川は綺麗に澄んだ流れであった。清冽な感じであった。知らない者は水を飲むかもしれなかった。 …(中略)…いつも水量が川幅いっぱいで、昆布のように長つぽそい水草が流れにそよぎ、金魚藻に似た藻草や、河骨のような丸葉の水草なども生えていた」(井伏1982)。

 

しかし、鉄道の敷設に合わせて東京の市街地は拡大し、都市空間は一変しました。特に、市街化を急速に進める契機となったのは、1923年の関東大震災、それから1945年の終戦以降の郊外化の進展です。人口増加により、現在はほぼ全域が市街化された善福寺川流域はでは、一部の公園、寺社、わずかに残った農地・屋敷林などの緑地を除き、流域の約8割が人工的な土地被覆=雨水がしみ込まない不浸透面となっています。不浸透面が増加して地中への雨水の浸透量が減ったことで、湧水量も減少していきました。現在の善福寺川の水源の大部分は、ポンプで組み上げられた地下水と下水再生水の一部を導水することでまかなわれています。また、1950年代から1970年代に行われた河川改修により氾濫原が失われ、深く掘り込まれた現在の三面コンクリート張りの護岸へと姿を変えました。

 

こうした都市化による流域・河川環境の変化の中で、水辺の生物相も大きく変化しています(中村2019)。湧水が豊富で水質が良好で、かつ洪水時にも身を隠すことができる水草やワンド(川とつながった小さな池)が存在していた明治時代には、ミヤコタナゴやムサシトミヨなど、今では天然記念物や絶滅危惧種に指定されている生物が生息していたと考えられます(図1・上段)。しかし、その後の都市化により不浸透面が増え、地下水の汲み上げも行われるようになると、善福寺池や善福寺川沿いからの湧水量や河川の水量が減少しました。そこに合流式下水道(一本の管で雨水と家庭等からの生活排水を合流させて流す下水道の方式)から汚水が混じった雨水が流れ込むようになり水質も悪化していきました。さらに河川改修により、魚類や水生生物が隠れられる水草やワンドがなくなりました。そして、大雨が降ると大量の雨水が河川に流れ込み、一気に雨水を海へと流しさるように変化しました。そのような過酷な河川環境には多くの生物が適応できず、次々と姿を消していってしまいました。1986年に始まった東京都の「清流復活事業」により、下水再生水の一部が導水され、水量・水質の回復が見られるものの、いまだにオイカワやドジョウなど、汚濁した水にも耐性のある生物がみられるのみとなっています(図1・下段)。

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図1 善福寺川の環境変化 明治時代(上段)と現在(下段)の流域環境断面と河川環境断面の変化の模式図
図1 善福寺川の環境変化

明治時代(上段)と現在(下段)の流域環境断面と河川環境断面の変化の模式図

水辺の生物相の再生には、水量・水質の回復に加え、生き物が生息しやすい水辺環境づくりも欠かせません。長い道のりですが、善福寺川を里川にカエル会では、世代を超えた取り組みにより、水辺環境の再生を行っていくことを目指しています。

 

文献:中村晋一郎 (2019) 都市化以前の河川環境を再現する―水・生物・人のつながりに 注目した川づくりへの応用を目指して―」河川基金助成事業報告書.

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2. 雨をためる緑の力 〜 緑地による雨水の貯留・浸透 〜

 

昨今、メディアでよくゲリラ豪雨と呼ばれる、局地的大雨・集中豪雨が都市で頻発するようになっています。ニュースでも報道されるような局地的大雨・集中豪雨がひとたび起こると、不浸透面から大量の雨水が一気に流出し、下水道を経由して河川に流されます。そして、下水道や河川の容量を超えると、下水道から雨水が逆流してマンホールから溢れ出したり(内水氾濫)、河川から水が溢れ出し(外水氾濫)、周辺の建物に浸水被害が発生します。現在の都市は、保水力が著しく低下し、雨が降っていないときは非常に乾燥して河川の流量も少なくなっています。ところが、ひとたび猛烈な雨が降り、下水道や河川の容量を超えると、一気に水が溢れ出して都市型水害が発生するというように、非常に極端な事態となっています。

 

こうした都市型水害をできる限り緩和するため、巨大な地下調節池の整備や河川の拡幅工事などが進められています。しかし、地下調節池の整備には多額の費用がかかる上、用地買収を伴う河川の拡幅工事も短期間で進めることはできません。また仮に整備が進んだとしても対応できる雨水の量は限られています。そこで、河川・下水道整備とそれ以外の方法を組み合わせ、総合的に対策を講じることが重要となってきます。その対策のひとつとして重要となってくるのが「流域対策」です。雨水をその場で貯留・浸透させ、下水道や河川への雨水の流出量を減らすことで、洪水を緩和しようとする考え方です。流域対策には、建物や道路の建設や再整備の際に、浸透マス、浸透トレンチ、透水性舗装などなど、いわゆる雨水貯留浸透施設を設置する対策と、緑地の保全・創出により緑地のもつ保水機能を発揮させ、雨水の流出を抑制させる対策等が含まれます。後者は、昨今「グリーンインフラ」と呼ばれ、国をあげて対策が進められようとしています(ただし、グリーンインフラ は、雨水流出抑制対策だけを指すわけではなく、自然のもつ機能を賢く発揮させ、より良い暮らしにつなげていこうとすること全般を指します)。

 

それでは、緑地は実際にどの程度、雨水を貯留浸透させ、洪水を緩和させる力をもっているのでしょうか?

 

カワウソ研究のメンバーは、東京都内で都市型水害のリスクの高い神田川流域を対象として、その効果を試算しました(飯田ら2015)。仮想的に3時間111 mm、最大時間70mmの強い雨を降らせてシミレーションした場合、流域全体の雨水浸透量の中央値は27.9mmでした(図2)。全体で111mmの雨を降らせているので、平均して25%の雨が土中に浸透したことになります。まさに、都市の中の様々な緑地が集合して、「みどりのダム」としての効果を発揮しているといえます。また、地域によって雨水の浸透量にはばらつきがあることも読みとれます。例えば、鉄道駅周辺の商業施設が広がっている地域の浸透量は低く、公園や寺社や農地や緑の多い住宅地が広がっているエリアでは浸透量は多くなっています。

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図2 神田川上流域でのシミュレーション結果(飯田ら2015)

雨水浸透量(左)と溢水量・浸水域(右)

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しかし、現在緑が多い地域も、それが民有地である場合は相続などのタイミングで容易に失われてしまいます。神田川における流域対策の目標値は10年で5mm、30年で10mmと設定されていますが、仮に、流域内の緑地が全て失われると、流域対策目標量をはるかに上まわる雨水流出が発生することになります。流域対策としては、新しく雨水貯留浸透施設設置することに加え、民有地の緑地を含め、既存の緑地を保全していくことが重要であるといえます。

 

文献:飯田晶子, 大和広明, 林誠二ほか (2015) 神田川上流域における都市緑地の有する雨水浸透機能と内水氾濫抑制効果に関する研究. 都市計画論文集 50(3): 501-508.

3. 屋敷林での浸透実験

 

先に述べたように、流域対策としては、既存の民有地の緑地を保全することも重要です。一方で、個人が緑地を維持管理することには、剪定や落ち葉はきなどのコスト・労力、税金の支払い、近隣からの苦情など、様々な困難も伴います。結果として、屋敷林など面積の大きい民有地の緑地は減少傾向にあります。

 

屋敷林は、農地と並び都市近郊農村時代の歴史を表す文化的な緑地の一つで、元々はともに農家の生産活動に欠かせない要素でした。しかし、農地が生産緑地法等によって税負担が軽減されるなど、所収者が維持しやすい環境がある程度整えられているのと比較して、屋敷林は宅地扱いのため高い税が課せられており、所有者が屋敷林を維持することの障壁となっています。

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図3 実験対象の屋敷林(西東京市下保谷)
カワウソ研究では、屋敷林のグリーンインフラとしての価値を、特に雨水流出抑制の観点から考察することを目的として、2018年から2019年の2年間にかけて雨水流出量の観測を行いました(図3)。そこからは、夏の集中豪雨や秋の台風のような大雨の時にもを屋敷林が90%以上の雨水を貯留浸透させ、流出を防いでいることが見えてきました。結果のまとめができたらこのページでも改めて紹介します!
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